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瞑想は不安を消すのに有効(155)

  • 執筆者の写真: K
    K
  • 2023年8月30日
  • 読了時間: 3分

実に中学高校と6年間、

仏教色が濃い目の学校に通っていた。

体育館の舞台の壁に扉があり、

その扉が厳かに開き、

その中から七色にひかる仏像的なものが朝礼の度に登場する。

校長先生は思いっきりお坊さんの格好をしていて、

丸坊主であり、訓話の内容は常に仏教を絡めたなにかだった。

授業でも「宗教」という科目があったし、

お寺で合宿というイベントもあったし、

散々やらされた写経のお陰で、

法事のときにお坊さんが唱える念仏の内容が理解できてしまっていたほどだ。


とはいえ、生徒はほぼみんな宗教に無関心なので、

週に一コマの宗教の授業なんて苦痛でしかないし、

お寺なんか一ミリも行きたくないし、

もはやネタとして扱っていた。


はっきりいって宗教に関しては嫌な思い出しかなかったので、

高校を卒業する頃にはもう、

宗教なんかうんざり。

お寺なんてもうこりごり。

という状態にまで仕上がっていた。


そんな自分が、瞑想に興味を持ち、

実際やり始めることになるのだから、

人生は相変わらずわけがわからない。




まだまだどういう状態になるのが正解なのかはわかっていない。

気持ち良い状態にもならない。

まだまだ精進する必要がある。


が、その中で、

宗教の本質みたいなものが理解できてきた。

もちろん、宗教にハマる、とか、そういうのはないし、

無宗教を貫くのは間違いないが。

仏教であれ、キリスト教であれ、なんであれ、

宗教というのは悪いものではないな、ということは理解できてきている。


基本的に自分は死ぬのが怖いタイプの人で、

考え始めると良くないループに陥る。

ネットもテレビも何もない江戸時代とかに生まれていたら、

ヤバかったと思う。


いまでこそ、世界は楽しいコンテンツに溢れ、

若者はTiktok見ているだけで時間が溶けていくし、

映画やドラマの類は無限にあるといってもいい。

音楽もいつでもどこでも聞けるし、

本も好きなだけ読める。

ビデオ通話すれば友達や家族はいつでもどこでもすぐそばにいる状態だ。

自分一人の時間をなくすことは容易すぎる。


でも、それらが全く無い時代だったら、

ひとりで考え込む時間が絶対に発生したはずだ。

時間を溶かすことができない。

そうなると、将来のこととか考え始めちゃうはずだ。

そして、将来のことは最後の方まで行くと必ず「死」に行き着いてしまう。

これだけは100%なので、

不安が頭の中を支配することに他ならない。


そんな人々を救ってきたのが、宗教なのか。

不安に支配された人々の頭の中を、

幸せなことでいっぱいにする。

不安が入り込む隙がない状態を作る。

それこそが、時間が溶けなかった時代の宗教の本質、人々の救いだったのか。

宗教とは人が幸せに生きるための哲学だったのか。(カルトは別)


宗教の種類によって瞑想の仕方も違うとは思うし、

もちろん、無宗教でも瞑想は可能だけども。

なんせ、瞑想することで、

頭の中を幸せで満たす事ができるならこんなにハッピーなことはない。


それが今の自分の瞑想のゴール。


台北のとあるルーフトップバーで。








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自分にも40歳がやってきた。

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we grow old because we stop playing.

​​何かを始めるには良い歳だ。

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