シンガポールに丸10年(067)
- K

- 2020年6月7日
- 読了時間: 6分
まだ自由に外出できない状況が続くシンガポールの中、
ひっそりとシンガポール移住10年記念日が過ぎていた。
このような状況でなければ、
仲間内でお祝いの食事会でもして楽しんだだろうけど、
その楽しみはコロナ明けまでとっておこうと思う。
移住してきた当初は、
10年間もシンガポールに住んでいるとは想像もしていなかった。
日本で子育てする予定はもともとないので、日本帰国はないとしても、
どこか別の国にまた移住しているだろうなと、漠然と考えてはいた。
もちろん、10年の間に真剣に移住を検討した国もいくつかある。
バルセロナには真剣に住みたいと思ったし、その周辺の地中海性気候の国はもちろん、
ニュージーランドやアメリカ西海岸も考えたことがある。
しかし、結果的に10年間このシンガポールに住まわせてもらっているのは、
この国が我々家族にとっては一番バランスのいい環境であるということ。
シンガポールには感謝の気持ちでいっぱいだ。
10年前のシンガポールというと、
今や有名なマリーナベイサンズも、当時はまだ部分的なオープンで、
工事中の箇所があったような状況だった。
でも、
都市としてはすでに十分に都会的で、立ち並ぶ建物は洗練されていた。
飲食店もたくさんあって、
特に店の前のオープンスペースにテーブル席を並べているスタイルがあちこちにあり、
オープンエアの中、各国の料理をつまみ、ビールを飲むのが好きだった。
当時不便を感じた部分としては、
ネットショッピング。
いまとなってはAmazonもシンガポールに進出したし、
LazadaもRedMartを吸収したし、
各種お店もネットショップができるのが当たり前で、
自宅待機中でも何不自由なく物が買える状態だけど、
当時はほんとうにまともにネットで買えるものがなく(RedMartもまだなかったはず)、
仕事をしようにもコピー用紙やプリンターのインクなど、
オフィス回りのものがサクッとネットで手に入らない。
日本でアスクルを多様していた自分としては、
なんでネットショップがないのか理解できなった。
もうひとつ当時不便を感じた部分は、
オーガニック系の食材や生活用品。
いまとなっては、Cold Storage でも FairPrice でも、
オーガニック食材コーナーがあるけど、
当時は専門店に行かなければなかったし、品揃えも少なかった。
とはいえ、
そんな当時の不便さを吹き飛ばして余りある、心地よさ、気持ちよさを感じて、
毎日ワクワクしながら過ごしていたのを鮮明に覚えている。
コンドミニアムには基本的にプールが付いていていつでも入れる。
ちょっとタクシーに乗ればビーチもあって海にも入れる。
もちろん海はタンカーだらけでなんかケミカルな感じがして決して透き通ってはいなかったけど、
常夏のビーチにいつでもいける開放感は半端なかった。

画質が悪いのは、当時iPhone3GSの時代だったため許してほしいけど、
雰囲気は伝わると思う。
毎週末、セントーサ島のビーチで子供と砂遊びをしていた。
セントーサ島には3つのビーチがあって、
シロソビーチで穴をほってる日もあれば、
パラワンビーチのボラボラ(Bora Bora)というビーチバーにいる日もあれば、
当時はまだ新しくて静かだったタンジョンビーチクラブのプールで浮かんでいる日もあっけど、
基本的にはほぼ毎週末どこかのビーチにいたと思う。

写真管理アプリを確認すると、よほどビーチがお気に入りだったことが見てとれる。
なんなら、週末と言わず、平日も、
ビーチやプールサイドでノートパソコンを広げ、
お店のWifiを使って仕事をするというスタイルが一番のお気に入りだった。
10年前といえば、今や当たり前なDropbox的なクラウドドライブは出始めで、
ZumoDriveというクラウドドライブを使っていた。
ミーティングは基本的にスカイプ。
タスク管理はRemember The Milk。
メモはEVERNOTE。
その他はほぼGoogle一択で、メールやカレンダーなどGoogleのお世話になりまくっていた。
移住する前、10年前の日本にいた頃から、
あちこち移動しながらの仕事が多かったので、
USB外付けHDDを自宅でNAS化して、
どこにいてもアクセスできるようにしたり、
出先のラップトップで編集したファイルを自宅に帰って画面の大きなデスクトップでイジる、
というスタイルにしていた。
そのスタイルで慣れてしまっていたので、
特にビーチで仕事をすることに困ったことはなく、
むしろストレスフリーで快適な仕事環境を維持できていたと思う。
後にノマドと言ってこのようなワークスタイルは日本でも市民権を得たみたいだけど、
当時、自分と同じくビーチやプールサイドでラップトップ開いたりiPhone触ったりして仕事している人は、
シンガポールにはちょくちょくいた。
常夏の気候に目の前にプールがある、となると、
部屋に閉じこもってないで外で仕事をしたくなるのも無理はない。
その人が仕事をしていたのか日焼けをしていたのかは今となっては確かめようがないが。
移住して1年くらいはそんな感じだったけど、
2年目くらいからシンガポールから近くの東南アジア諸国での仕事が増えた。
出張の数はどんどん増えていき、
多いときは週に2回飛んでいた。
年間およそ100日程度はどこかの国でホテルに泊まっている、
ということが違和感ないようなスタイルになっていた。
今回のコロナ騒動がなければ、まだそれは続いていたかもしれない。
3ヶ月間もシンガポールから飛行機に乗っていない、というのは自分の中ではなかなか記録的だ。
移動距離とアイデアは比例する、とは高城剛さんの名言だけど、
これは非常に的を得ている。
シンガポール以外の国で始まる面白いプロジェクトが、
どうにもとまらなくなったのは、
きっと時代のせいだと思う。
当時、なんか「日本をとびだせ!」的な思想が増えてきていたのかメディアが煽ったのか、
日本企業を相手に東南アジアはとにかく話題が尽きなくて、
自分がもう一人欲しいと真剣に考えていたことをよく覚えている。
そんな感じでふと振り返ると、
自分が22歳で社会に出てからの人生において、
実に半分以上の時間をシンガポールで過ごしていることになる。
「当時の自分には想像もつかなかった現在」というありきたりな言葉が、
実にしっくりくる。
10年前、
日本にいた頃の友達のつてで、すでに5年シンガポールに住んでいた友達の友達を紹介してもらい、
シンガポールで初対面で話したときに、
「5年住んでいる」と聞いて、なんとベテランなんだと思っていたけど、
今や自分が10年だ。
この10年の間に、
仲良くしていた日本人家族は何家族も日本に帰国して、
当時新入りだった我々家族が、いまやわりと古株だ。
特に駐在員家族は数年で帰ってしまうので寂しいけど、
ありがたいことに、日本に一時帰国するときには、家族ぐるみで遊んでくれる。
日本に家族が増えた、みたいな感覚だ。
同じくいろいろな国に帰国した友達がいて、
いろいろな国に家族が増えたみたいな状態でこれは貴重な体験。
振り返ることなど滅多にないタイプだけど、
10年を機会にふと思い返してみると、
想像していたのとはぜんぜん違う、
想像していたのよりずっと面白い、現在になっているように思う。
このあとの10年もきっと想像を超えてくるはずだ。
どうせ超えてくるなら、今猛烈に面白い想像をしておこうと、心が躍る。


