けっきょくのところ、友だちなんだということ(100)
- K

- 2021年9月25日
- 読了時間: 2分
結局の所、
回り回って、友だちなんだよ、と思う。
どこへ行くのも、
何をするのも、
けっきょくのところ、友だちがいなきゃ面白くない。
バルセロナが好きになったのは、
その素晴らしすぎる太陽も、全てが美味しすぎる食事も、もちろんだけど、
そこに友だちがいるから余計に面白いのだ。
ブルックリンにふらっと行こうと思えるのも、
けっきょく、そこに友だちがいなきゃ楽しさ半減だ。
40歳になって、30歳よりも20歳のときよりも、
より一層この思いは強くなっている。
シンガポールは出入りが激しい。
ずっと住む人は少ないのだ。
たかだか10年程度住んだだけでも、古株になってしまう。
数年で帰国してしまう人が多いからだ。
これはこれで寂しい反面、
そうやって帰国した人たちが、世界中に散らばっていく。
こうして、ここで出来た友だちが、世界中に広がっていく。
世界のあちこちで、
「ここが自分の街だ」という友だちがいて、
その街へ行く理由を作ってくれるし、
その街を訪れたときに極上の楽しさを共有してくれる。
子どもたちもしかり。
世界中に散らばった友だちと、
コロナ渦で会えない日々は続くけど、
オンラインゲームの中で駆けずり回っているわけだ。
というわけで、
大人になってからも、友だちは重要だ。
幼馴染のような友だちも重要だし、
比較的新しい友だちも重要だ。
特に、
「たまたま近所に住んでて同じ学校に行って同じクラスになったから」
友だちになった、という与えられた感じのパターンではなく、
社会に出て、自由なんだけどリスクも有るという狩場に出て、
与えられるのではなく、
「自分で探し出した居場所に集まってきた」友だち。
そういう友だちは
実に人生を豊かにしてくれる、と最近よく感じている。



