間取りは家族の関係を変える(129)
- K

- 2023年2月28日
- 読了時間: 6分
もともと、引越が好きというか、
同じ家に何年も住むと飽きるというか、
大学を出て一人暮らしを始めてから2年ごとに引越をしてきた。
モノは持たない主義なので、
引越と言ってもさほどのイベントにはならなかった。
ホテルを変えるくらいの気楽なものだ。
そうやっていろいろな間取りの部屋に住んできた中で感じたことは、
住む家の広さや間取りで、
一緒に住む人との人間関係は良くもなるし悪くもなるということだ。
一人暮らしといっても、常に誰かと二人暮らしをしてきた。
2人で住むような広さじゃないような、
小さなワンルームに住んでいたこともある。
当然、部屋での居場所は大抵はベッドの上になる。
床に座るスペースなどないからだ。
テレビを見るのもベッドの上だし、
なんなら、お酒を飲むのもベッドの上。
部屋にいる時間の大半をベッドの上で過ごす。
それも二人暮らしとなると、
二人共ベッドの上にいるので、
距離の取りようがない。
こうなってくると、どう考えても仲が良い。
イチャイチャするために距離を詰める必要すらないわけだから。
逆に喧嘩をしても仲直りするまでのスピードが早い。
別の空間へ引きこもって距離を取ることが出来ないからだ。
二人暮らしをするには十分広い2LDKに住んだこともある。
キッチンとダイニングは食事をする部屋、
リビングはテレビがある部屋、
そしてベッドルームもあるし、
仕事部屋的なものまである。
こうなってくると、居場所がいっぱいあることになり、
距離は必然と空く。
ここは自分にとって居心地が悪かった。
パートナーとの距離感が出来てしまったからだ。
別々の空間で過ごす時間が増えて、
スキンシップを取るには、
「スキンシップを取ろう」として取る、
みたいなイメージだ。
喧嘩をしたとしても、
顔を合わせないための逃げ場がある。
仲が悪いわけではなくむしろ仲は良いわけだけど、
狭いワンルームのほうが居心地が良かった。
いい歳になり、結婚もし、
子供も出来たら、4LDKとかに住んでみた。
もうこれは距離感しかない。
一緒に過ごす何気ない時間は、
意識をして取らないと、どんどん減っていく。
食事を一緒にする、は当たり前として、
食事の後、リビングのソファに座って、
一緒に映画でも見る、とか、雑誌でも読む、とか。
そういう時間が必要になってくる。
(子供が小さい頃はそんな暇はないのでまだあれだが。)
なにぶん、部屋はあるもんだから、
そうでもしないと、すぐ自分の部屋にいってパソコンをつけて、
調べ物や、簡単な業務、ひいてはそこで動画なんか見てしまう。
この距離が空いた状態が続くと、
当たり前だったことのやり方を忘れてしまう、という穴にハマる。
例えば、ワンルームでシングルベッドの上でテレビを見ていたときは、
当たり前に手をつないだりしていたのに、
広いソファのある2LDKに住むと手が届かないから手をつながない、
自分の部屋がある4LDKに住むと、手が届くどころか、同じ部屋にすらいない。
そうなると、空気を吸うように自然と外でも手をつないで歩いていたのが、
手をつなぐということが不自然な感じになって、
どうやって自然に手をつないでいたのか忘れていく。
「手をつなごう」っていってたのか? いやいきなりつないでたのか? どうやってたんだ?
少し強調して言うとそういった感じだ。
この「手をつなぐ」が、「キスをする」でも「愛し合う」でも同じことだろう。
空気を吸うように当たり前だったことが自然にできなくなっていくと、この流れは勝手には戻らない。
デカすぎるソファーは危険だし、広すぎる家はやばい。
これを理解した当時、日頃からスキンシップを取ることの重要性がわかり、
そうしてきた。
もう10年以上前の話だ。
これは、子供との関係においても同じだ。
まぁ子供は親離れのためにも早くから一人部屋を与えて、みたいなこともあるけども。
で、
話を現在に戻すと、
去年まで住んでいた部屋は、
4ベッドルーム。
広めのリビング・ダイニングに、
ダイニングテーブル、ソファーとソファーテーブル、テレビ。
でも、なぜかはわからないが、
そこのリビングのソファーの上は居心地が悪く、
ほとんど座ったことがなかった。
縦長にダイニングとリビングがつながっていて、
ソファーの後ろにダイニングテーブルがあり、なんか後ろが落ち着かなかったのが原因かもしれない。
結果、食事のときにはダイニングかキッチンにいるが、
その後はリビングに滞在することはまったくなく、
ベッドルームに行き、プロジェクターで動画を観たりしていた。
時にはパソコン開いて、もしくはスマホで雑務をして。
こうなると、食事のときに会話があるくらいで、
それ以降会話がなくなる。
実に寝るまで会話をする機会がない。
妻はソファーにいる、子供は子供部屋にいる、なので、
18時に食事を取ったら、そこから寝るまで自分は一人暮らしみたいなものだ。
子供とは、食事の時間がずれたら、全く会話しないまま寝ることになる。
これってよくないなーと思ってはいたけど、リビングが落ち着かなかった。
さて、今年に入り、強制的に引越をすることになり、
今回は3ベッドルーム。
まぁ物置みたいに使っていた部屋が一つなくなったというだけなので、構成はほぼ今まで通り。
去年まで使っていたダイニングテーブルに、
ソファーとソファーテーブル。
全く同じものだ。
だけど少し違うのはリビングの居心地がなんか、いい。
なんかこじんまり囲われた感がある間取り、
窓からの景色もなんか悪くない(去年の部屋もよかったはずだが)と感じる。
ほんの少しの間取りの違いだ。
前回の縦長リビング・ダイニングとは違い、
L字型のリビング・ダイニング。
ソファーの後ろは壁で、ダイニングとはいい感じに距離がある。
実にこれだけの違いで、
同じソファーの上に座ることの居心地の良さ。
結果、今は食事のあと、ほとんどの時間をソファーの上で過ごしている。
そこで動画を観るも良し、時にラップトップを開いて作業をしたり、
スマホで雑務をしたり。
寝る前までそこにいる。
前回の部屋同様、妻はソファーにいる。
ということで、ソファーに二人で過ごす時間が大量に出来上がる。
二人がソファーにいると、
子供もちょくちょく子供部屋から出てきたらソファーにちょっかいを出しに来る。
歳をとるにつれ、稼げるようになり、
ワンルームは1DKになり、2LDKになり、4LDKになる。
若くてお金がない頃、広い部屋は快適だと思って生きてきたけど、
住んでみたら逆だった。
これは20代のころに学んだこと。
確かに友達を呼んでワイワイ出来るスペースはあるが、毎日毎日パーティするほど今は若くないし、
家族を大切にしたいという思いのほうが強い。
広さに関係なく、間取りだけでも大いに距離が変わることがある、というのが、
今回の経験だ。
ちょっとした間取りの違いで人が集まる居心地の良さが出来上がる。
家族は何気ない時間を何気なく集まって、空気のように一緒に過ごすことが大切だ。
こう考えると、建築家、空間デザイナー、というものは、
その家族のかたちを創っているということになり、偉大な能力だ。



