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つれづれなるままに(070)

  • 執筆者の写真: K
    K
  • 2020年6月20日
  • 読了時間: 3分

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、

心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、

あやしうこそものぐるほしけれ。


<口語訳>

することもなく手持ちぶさたなのにまかせて、

一日中、硯に向かって、心の中に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、

あてもなく書きつけていると、

(思わず熱中して)異常なほど、狂ったような気持ちになるものだ。




子供の頃に誰しも一度は勉強したことがある徒然草の序段。

小5の子供が日本語補習校の宿題でこの文章を暗記している。


覚えようと声に出してぶつぶつと唱えている。


40過ぎた今となっても、

「つれづれなるままに」と聞くと、「日暮らし」と頭にすぐ浮かぶこの文章。


子供のころに、

「一生これを使うことはないだろうな」と思いながら暗記し、

そして40過ぎていまのところの人生ではみごとに使い所はまだない。




小5の子供にとっては、この呪文のような文章がなんなのか、

まるっきりわからないはずだし、

なんなら、口語訳を読んでいてその口語訳をも理解できずに苦しんでいる。


我々世代の大半が一生使わなかったのだとしたら、

子供の世代もきっと一生使わないだろう。

いや、なんなら我々の親世代も使ったことがないんじゃないだろうか。




その前に習っていたのは、

「大造じいさんとガン」だ。

これも、子供の頃に習ったことがある。

というか、ぴったり小5で習ったはずだ。


大造じいさんの残雪に対する気持ちが、憎しみから尊敬に変わっていく、

いいお話だ。


だけど子供がそれを習っているのを知って正直驚いた。

我々世代でも、時代設定がかなり昔の物語だったと記憶しているが、

それが我が子も同じことを学んでいる。




物語の理解や、主人公の感情の変化や、主人公の正義感などを通じて、

子供に教育をするというのであれば、

題材はもっと現代よりのものでもいいんじゃないだろうか。




誤解があってはいけないので書いておくと、

日本語補習校の先生方はとても熱心で優秀だ。

もう正直頭が上がらないほどに感謝している。

子供が日本語についていってるのはひとえに補習校のおかげだ。

これっぽっちの不満もなければ、ありがたいという感情しかない。


疑問なのは、何十年も変わらない、日本の教育制度だ。

子供の頃に教えられた哲学は身にしみつくものだけど、

それは一体何世代前の哲学なんだろう。


少なくとも、我々に教育をしてくれた先生世代の哲学で我々は一旦染まっているわけだけど、

その先生が子供だった頃に教えた更に年配の先生がいるわけで、

その年配の先生の哲学に染まった先生が我々を教えて、という連鎖を考えると、

結構な年数を遡ることになるはずだ。


もちろん語り継がれるべき不変の哲学もあるだろうけど、

現代社会を生き抜くためにはアップデートされるべき哲学も多いはずだ。




日本でもいまは色々な斬新な高校が出てきていて、

ゼロ高やN高なんかも面白そうだなと思う。


けど義務教育ももっとアップデートされるといいのにな。



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サイクリング中に猿。

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自分にも40歳がやってきた。

We don’t stop playing because we grow old;

we grow old because we stop playing.

​​何かを始めるには良い歳だ。

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