未来は見えないから楽しい(076)
- K

- 2020年9月4日
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キンコン西野さんは、
「先が全部見えた。
確認作業のために生きていくのは嫌だなと思った。」
とおっしゃっている。
ちきりんさんは、上京したかった理由を、
「地方だと ”予想できない未来が一つもない” と思えたから。
18歳の段階で ”ここにいたらこういう人生になるんだな” って、
すごい確からしさで見えてしまってて、つまらなくて耐えられなかった。」
とおっしゃっている。
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この思考のタイプの人は一定数いて、
自分もこのタイプだ。
一番最初にそれに目覚めるきっかけを感じたのは中学生のときで、
私立に電車で通っていたので、朝早く家を出て、帰りは部活なしでもそこそこ遅く、
帰ってきてはすぐに自転車に乗ってスイミングスクールに通っていた。
2時間泳いでバテバテで自転車で帰って、晩御飯食べて、
宿題なんかを終わらせて倒れるように寝る。
毎日予定調和、同じことが繰り返されて、
正直絶望していた時期もあった。
なにか目標をこの頃に持っていれば違ったはずだけど、
情けないことになんとなくやっているだけだったので救えない。
自由時間を得るには、授業中に友達と密かに遊ぶ、という以外に思いつかなく、
全く授業を聞かなくなったのもこの時期だ。
スイミングスクールが終わってからまっすぐ帰らなくなって、
少し悪いことをし始めたのもこの時期だ。
とにもかくにも、「変わらぬ毎日」というのがもう耐えられなかった。
「ぼくは明日も今日と同じことが起こるのを知っている。」
大学で遊び尽くしたあと、就職をしたけど、
2ヶ月後にはやめることを上司に話していた。
実際には8ヶ月ほどお世話になったけど、
同期最速でやめてしまった。
やめた理由は外部要因もあったけど、
自分の気持ちの部分の主な理由は、
「変わらぬ毎日」が嫌すぎたこと。
そして、
見事なまでに今後の人生の予想がついてしまったこと。
世代ごとに先輩を見れば、その世代になったときの自分がかんたんに予想できた。
それがはちゃめちゃに面白そうならやめずにいたかもしれないが、
いや、でも時期は違えどやはりやめていたと思う。
小学生の時に、一番最初にRPGというものをプレイしたのは、
ゲームボーイの 「魔界塔士Sa・Ga」 だった。
最初だったこともありドハマリした。
何周かしたあと、攻略本というものがあることを知って入手した。
見逃していた宝箱やイベントを回収するのに再度ハマった。
そして、その1年後くらいに出た 「Sa・Ga2 秘宝伝説」 も当然購入し、
このときは、前回の経験を活かして攻略本も買った。
最初から宝箱の取りこぼしがないように。
でも、これが圧倒的に間違いで、
攻略本を読んでからプレイするのは異常なほど面白くなかった。
展開を知っているのにプレイするのは、
作業でしかない。
もうクリアしたのと同じだ。
そしてその後、RPGというゲームカテゴリ自体に興味がなくなってしまった。
ストーリーは違えど、
やることはモンスター倒してレベルアップしてボスを倒しに行くこと。
そこが見えてしまったからもう作業にしか思えなくなってしまった。
知ってしまったらもう、ワクワクはない。
未来が見えたならば、それはもう未来じゃない。
未来の神秘が全くなくて、楽しめなくなってしまった。
この小学生の時の感覚は大人になっても全く消えず、
先に攻略本を読んでからプレイするような人生は、
ものすごくつまらなくて、毎日が作業にしか思えない。
(もちろん、短い未来予測、リスク回避、という部分は大事にしているがそういうことではなくて。)
そして気づけば社会に出て20年以上、
予想がつかない人生を送っている。
毎月給料がもらえるような安心感のある生活はないけれど、
この冒険じみた自分の人生を気に入っている。
大塚製薬のエクエル ジュレのCMの、
「あの頃に、
戻りたいなんて、
思わないで済む、
生き方をしてる。
(外見は別として)」
という写真をTwitter界隈で見かけてふとそういうことを考えていたので。



