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誰に習うかで大きく変わる(083)

  • 執筆者の写真: K
    K
  • 2020年11月3日
  • 読了時間: 5分

例えば、子供に習い事をさせる、という事を考えるときに、

シンガポールではなかなか悩ましい点がある。

それは、良い先生にめぐり逢いにくい、ということだ。



もちろん、国の面積が小さく人口がそこまで多くないため、

分母が小さい、という部分もあるのだが、

それよりもなによりも、そこに力を入れる文化的背景が薄い、ということがあるように思う。


まだ歴史の浅い国で若い。

55周年を迎えたばかりだ。

この短い歴史の中で、世界と勝負できる国になるまでにハイスピードで進んできた。

幼少期より非常によく勉強するこの国の学力は世界的にみて高いほうだし、

経済面でも非常に豊かな国だと思う。

いきなりの独立から短期間で成長した、明らかな成功モデルだと言える。


だが、国の成長に向けて振り切ってきた分、

芸術やスポーツといった文化的な部分が、歴史ある国々のそれと比べて軽い気がするのだ。

もちろん個人的な見解だが。


天才的な小学生ピアニスト、とか、

圧倒的な歌唱力の小学生、とか、

神童と呼ばれるようなサッカー選手やバスケットボール選手、とか、

そういった少年少女を目にしない。


あの学校はこのスポーツの超強豪校で、あそこに勝つために我が校は一眼となって、、、

というスポ根な部活をするイメージもわいてこない。


シンガポールには、

・ローカル校

・インターナショナル校

・ローカルインター校

大きく分けてこの3種類の学校があって、

子どもたちがそのすべてを経験したことで、それぞれの良さが理解できた。

だがその全てで、スポーツや芸術という部分の成熟度は、先進国のそれと比べてまだまだなように思う。


急成長に向けて学力に振り切ってきたのだから、

当たり前だ。


なので、当然、スポーツを極めたシンガポーリアン、

芸術を極めたシンガポーリアンの大人の数が少ないし、

教える先生というのも、国外から集まりにくいのだろう。



そんなわけで、シンガポールでスポーツをさせるにしても、音楽をさせるにしても、

良い先生にめぐり逢うことがなかなかに難しい。


どんなところで習おうが、

伸びるやつは伸びるし、伸びないやつは伸びない、

という考えもあると思う。


でも、自分自身の少年期を振り返ってみると、

誰に習うかで結果はかなり変わってくる、と確信している。


それはビジネスの世界で、

経営者でもない人が、経営コンサルをしている滑稽さにも似ている。


自分は小さい頃、水泳をやっていて、

そこそこ速い時期があった。

ただその当時、ぶんぶん丸と呼ばれることがあるほど、

手のかきが速かった。


幼少期の頭は単純なので、船のスクリューなんかと同じで、

泳ぎなんて手の回転速度が速ければ早く進むんだろう、という理論だ。


毎日練習したり、ある程度努力したりすれば、

こんな非効率な理論でも、ある程度勝てるわけで、勝てると余計にその理論にすがる。


当たり前だが、

しばらくするとこれでは勝てなくなる。

いかに効率よく多くの水を掴むか、いかに水の抵抗を最小限にするフォームを身につけるか、

そういったテクニックを身に着けたライバルたちに、ボコボコに負け始める時期が来る。


そのときに、

テクニックを教えず、がむしゃらに毎日長時間泳ぎこみをさせるだけのコーチがそばにいたら、

非常に残念な結果に終わる。


毎日2時間も3時間も泳ぎ続けても、回復がついていかず、オーバーワークだ。

脳と筋肉をつなぐ神経を強化する意味での反復は効果的かもしれないが、

筋力アップや持久力アップを考えればオーバーワークにメリットは少ないだろう。

HIITとかを取り入れて短時間で鍛える、他の時間でフォームを徹底的に修正する、

例えばそのような他のメニューがないコーチに当たると、頭打ちになる。


自分自身、ぶんぶん丸から抜け出したのは随分後で、

それは長年指導してもらったコーチから新しいテクニカルなコーチに変わったことが始まりだった。


泳ぎ込んでなんぼだと教えられ続けた自分にとっては、

こういう練習があるのか、と拍子抜けしたものだ。

毎日長時間泳ぎ込んで、試合で負ければ、

「まだまだ泳ぎこみが足りない、練習が足りないんだ」と思っていたのだから。


こういった過去の経験から、

親が子供に対してやってあげられることとしては、

いろいろな選択肢を与えてあげること、

そして子供が選択した項目を効率よく学ばせてあげる、習得させてあげる方法を見つけることだ。


なので、例えば良いコーチが見つかったときには重宝するし、

良いスクールなどができるとすぐ殺到して即刻定員オーバーになることも珍しくないシンガポールだ。


今はオンラインでも良い先生が見つかるし、動画でも学べる時代だけど、

スポーツや音楽をやる場合、それだけではやはり寂しい。



オリンピックに出たいのであれば、

オリンピックに出た過去があります、という先生か、

オリンピック選手を育てたことがあります、という先生が最適だろう。

そこへいく道を知っているからこそ、先生なのであって、

道を知らないんだけど一緒に探しましょう、では効率が悪い。


これは、子供に接する親の姿勢としても、

自分自身気をつけている部分だ。

子供に偉そうに言うのであれば、現にそのことに偉くないと絶対ダメだろう思っている。

つい、声を荒げてしまいそうになる局面でも、

「おまえは子供に偉そうに言えるほどそのことについて偉いのか?」

と自分に問う6秒間を持つよう心がけている。


単純な例でいうと、

漢字がまるで得意でないのに、漢字の練習しろとは絶対言えない。

それは漢字が得意な人に言ってもらったほうがいい。

もちろん、「サボったせいで漢字が書けなくて大人になってから困った」なんて話は、

反面教師的にできるのかもしれないが、実際大して困ってないことに困っている。

自分が子供よりも能力的に劣っている部分で子供に指導するとかは絶対しないようにしている。

そんな嘘が子供に通用するのは思春期までだろう。


英語、中国語をペラペラ話す子供には完敗だ。

算数はまだまだ勝てる。

このように勉強一つとっても、

教えることができる分野は教えるし、教えてもらえる分野は教えてもらっている。


子供に置いてけぼりにならないように一緒に学ぶ分野もある。

Pythonとかは子供がやっているのをみて、置いてけぼりが嫌で習得した。

こうやって子供に育てられる部分もあるので、子育ては実に奥深い。



大いに話がそれたが、

効率よくゴールに近づくためには、

誰に習うのかが重要だということだ。


努力する気があるのなら、なおさら、重要だ。

それだけ本物には価値があるし、

今後より一層その価値は上がっていくんだろうなと思う。



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何の木かわからない木の花。


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自分にも40歳がやってきた。

We don’t stop playing because we grow old;

we grow old because we stop playing.

​​何かを始めるには良い歳だ。

© 2019 Time to move on. - 40歳がやってきた

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