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守るものがない強さ(163)

  • 執筆者の写真: K
    K
  • 2024年3月14日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年6月8日

大卒後、せっかく入社した会社に対して、

数カ月後には辞表を出して、起業をした。


このことに関して、時代も時代だったので、

しばしば驚かれる。


いい大学を出て、就職難のなか、いい会社に就職し、安定した人生を。

みたいなものが、定石だとされていた時代だったからだ。


人脈も、お金も、何も無い段階で、よくいきなり自分で会社を始めたものだ、と。




これに対して、

いつもまことしやかに理由を答えてきた。


  • 同期が過労で亡くなったことが大きかった

  • 自分の数年後、数十年後が明確に見えて、もう消化試合のように感じた

  • 同じことを繰り返せないタイプの人間だから


などなどだ。




耳障りの良い真っ当な理由だろう。

そして、これは全くもって嘘ではない。

すべて本当だ、本当にこれらの事実が会社をやめ、いきなり起業した理由だ。


だが、理由はそうだし、そう感じてモヤモヤしていたが、

自分は会社を辞めそうになかった。

全然辞めそうになかったのだ。




それは、数年間一緒に過ごし、

この先も一緒に家族となっていくだろう女性がいたからだ。


当たり前のようにそう思っていたので、

危ない橋を渡ることを避けるように、危ない道を見ないように、

安定して幸せな家族を作っていくことに目を向けていた。


会社を辞めて独立起業するなんて、お金を稼げるようになるまで何年かかるかわからない。

結婚して子供を作ろうというのに、そんな賭けには出られない。

だから、全然辞めそうになかったのだ。




だけど、いつも言うように、

ある日、いきなり、唐突にフラレた。


お互いの環境が変わったということが、

ここまで影響を及ぼすとは、

若かったその頃には想像できていなかった。


社会人生活が始まることでそれまでの生活と一変して、

毎日数時間だけ寝に帰る、みたいな状況になったので、

今考えれば、そりゃそうか、とも思う。


思ってもいないことが突然に起きたので、

しばらく何も手につかない日々を過ごすほどショックを受けていた。


ちょうど、Mr.Childrenの「優しい歌」が出たばかりの頃。

入社一年目の夏。




もともと感じていたモヤモヤに対して、

けじめをつけようと思い立ったのは、そういうきっかけだった。

守るものがない。

安定した家庭を、とか、いきなりそのプランが消えたのだから、

もう守るものは何もなくなった。


起業して失敗しようが、自分が食う分をなんとかすればいいだけだ。

20代の男ひとりなんて、正直なにやっても食ってはいける。


その流れで辞表を書いた。

「優しい歌」がずっとリピート再生されていた。




「守るものがない」というのは、

最強だ。


失敗する気はサラサラなかったけど、

最悪、失敗してもかすり傷だ、という状況は強い。


思い切ってリスクを取りにいける。

何度でも立ち上がっていいのだから、諦めの悪い自分には好都合だ。




だから、エイヤッと初めてのチャレンジするときは、

守るものがない最強の時にすることをおすすめする。


20代の前半、いや、学生の時にでも。

きっとクソ貧乏生活をも楽しめるはずだ。




いまでも「優しい歌」を聞くと、

あの頃のなんとも言えない決断の感情が思い出されて感慨深い。


そんな歌詞じゃないし、タイトルから全然違うわけやけど、

自分にとっては大いなる「戦いの歌」であって、

なんなら涙ぐんでしまうような、そんな熱い「始まりの歌」なのだ。



セントーサの高台からの夕焼け
セントーサの高台からの夕焼け。





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自分にも40歳がやってきた。

We don’t stop playing because we grow old;

we grow old because we stop playing.

​​何かを始めるには良い歳だ。

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